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3月

春、「桜花爛漫の候〜」なんて言ったりするが、桜が咲くにはまだ少し早い、少なくともいま僕が住んでいる場所ではまだまだ春の足音も聞こえてこないこの3月。日本では、春は「出会いと別れの季節」というイメージが定着しているが、その「別れ」を担っているのがこの3月である。

 

いまこうして久し振りに文章を綴っているのは夜も更けたころ。僕はこの3月の夜が嫌いだ。

 

僕は何を隠そう2留を経験している。留年は、やってみないとわからないと思うが、3月に決まるわけではない。早ければ1月末、遅くとも2月のなかばには留年が決まる。まぁ僕のいまのバイト先の知人は今日決まったらしいので、大学次第なのかもしれない。

 

だから、「留年のトラウマ」なんていうお茶目な理由で3月が嫌いなわけではない。もう少し本質的な理由で、この3月が嫌いだ。

 

多くの人は3月になると失敗を省みる。と同時に4月からまた先に進むために準備を始めるだろう。

ところが、僕は2年も停滞した。その度に、3月に自分の失敗を悔いたが、先に進む準備は2年間必要なかったため、僕には「失敗を省みる時間」しかなかった。考えても考えても、後ろ向きな感情しか湧かず、押しつぶされそうだった。

 

今年、めでたく進級が決定したのは2021年の10月ごろの出来事だったが、この春も、やはり順風満帆とはいかない。

 

毎年失敗を悔いているはずなのに、毎年後悔は増える。さらに今年は就活、研究室、いろいろな準備も重なっている。「次にやること」に目を向ければ気分がいくらか楽になるかと、去年の自分は思っていたが、どうもそうではなかった。単純に、失敗の影響が増えてより後悔しているし、考えることが多すぎて毎日途方に暮れている。むしろ、今年の3月は自分史上最大の「詰み」に近い状況が出来上がっている。

 

夜になるとさらに気分が落ち込む。さっきまでさまざまな企業のエントリーの要項を読んでいたはずなのに、気づいたら「楽に死ぬ_方法」なんて検索していた。

 

先行きの見えない不安。毎年増え続ける後悔。息が詰まるほどの自己責任。僕はどこで間違ったのだろう。考えても答えは出てこない。

 

この2年間で学んだことがひとつある。

 

ビジョンが描けないものは、実現しない

 

現役で3年生やってたとき、卒業する自分が想像できなかった。もちろん実現しなかった。

 

今の僕には何も見えない。就職以前に、来月の僕が見えない。

 

 

僕は3月の夜が嫌いだ。はからずとも思考がどん底に行ってしまう。

 

こうして駄文を書き連ねているのも、なにか形にすることで気が紛れると思ったからだ。少し気が晴れた。あのままだと本当に死にかねなかった。

 

気は晴れても状況は好転しない。

 

誰か僕を殺してくれ。

 

 

次回のブログにつづくー