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ヱヴァンゲリヲンに向き合って

本当に久しぶりに記事を書きます。ザキです。

書く意欲もあったし、内容ももうあまりホットではない感じになりましたが最近忙しくて執筆出来なかったのでこんなことになってます。どうかご容赦ください。

 

タイトルどおり、エヴァの話です。

 

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↑ブログを読むアスカ

 

僕は公開初日にも観に行きましたが、最近(といってももうひと月も前)また観に行ったのでこのタイミングでエヴァの話をします。

 

そろそろネタバレ書いても許される頃合いってのもありますけど。

 

言ってもそこまで核心に触れる内容は話しません。

 

まず、観終わって1番はじめに思うことは、やっぱり僕はアスカが好きなんだなってことです。最終的な勝敗は置いといて、このシリーズで終始ヒロイン面して幅を利かせてたのはやっぱりアスカだったと思います。ツンデレだし、近親じゃないし、親の友達とかでもないし。

昔の劇場版で、お母さんの存在に気付くアスカのシーンが世界でいちばん好きなんですが、今回の映画の、「あの頃アンタのこと好きだったんだと思う」ってシンジに言うシーンが世界で2番目に好きになりました。

アスカにあまりにも真剣なので、2回目のときは流石に散髪してから映画観ました。

 

他にも良かったところはたくさんあります。もちろん納得いかないとこもありました。でも総じて、非常に満足度の高い映画だったと思います。

 

 

さてここからは作品の中身というより、外側の話をします。

 

「ヱヴァが完結した」という事実について、最近やっと呑み込めるようになったというか、ことの重大さにようやく気付きました。

 

この「ヱヴァンゲリヲン」というコンテンツが完結するのに要した時間はおよそ四半世紀。僕の今までの人生よりも長い時間です。

もちろん僕はそんな長い時間このコンテンツを追っているわけではありません。しかし、初期から追っている「古参」、そして僕を含め「途中参加者」にとっては「ヱヴァンゲリヲン」は完結していないものでした。そのため、これまで多くのオタクたちが作品を吟味し、考察するという過程が20年以上も続いたわけです。

僕は積極的に考察をしたわけではないにせよ、他人の考察をきいて、納得したり、あるいは否定したりして考えを巡らせてきたわけです。

 

ところが今、ヱヴァンゲリヲンが完結してしまってどうなったか。

ほとんどの考察に対して「解答」が突きつけられた今回の作品。すなわち、すべての考察が「歴史」になってしまったわけです。

 

たとえば僕らが世界地理を学ぶとき、地球が丸いとか、6大陸があるとか、そういった事実を覚えるだけで、「なぜ地球が丸いとわかったのか」や「新大陸の発見」など、経緯はほとんど学ばないと思います。

学んだとしても僕らにとってそのことは「歴史」であり、「地球が平らである」という説は「間違い」だとすでにわかってしまっているわけです。

 

何が言いたいかと言うと、今からヱヴァンゲリヲンに触れるオタクたちは、この四半世紀にもわたる「過程」に触れないで「解答」だけ見ることができてしまうのです。

それが悪いことであると言うよりは、それはとても残念なことのように、僕は感じます。

この地球上の隅々まで探検されてしまった現代のように、ヱヴァンゲリヲンもまた、隅々まで「探検」され尽くされてしまったのです。

 

そして、さらに悪いことに、今後ヱヴァンゲリヲンのような作品は、あと四半世紀経とうと生まれないように思います。

 

そう考える理由は2つ。

1つは、ヱヴァンゲリヲンみたいな作品を作れば、それは「ヱヴァみたい」という二番煎じのレッテルを貼られてしまうからです。

そしてもう1つは、今の時代にこういった作品は合わないからです。僕たちの嫁が3ヶ月ごとに変わるように、大量生産・大量消費の風潮が未だに幅を利かせています。何年も何十年も答え合わせを先延ばしにされると、今の消費者は果たしてついていくのだろうか?そして売れなければ解答すら作れません。

 

ヱヴァンゲリヲンはひとつの「時代」であり、「歴史」であり、そして僕らはそれの生き証人なのかもしれません。

 

少しだけロマンチックな記事でした。

 

 

まぁもちろんそれだけでは終わりません。

そもそもどうしてこんなこと考えたのかと言うと、原因はオタクのとある怪文書です。

 

(一部抜粋)

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このオタクは現時点でヱヴァンゲリヲンを観ていません。

彼にとっては気の利いた時候の挨拶程度の文章だったのかもしれませんが、あまりにも滑稽だったので考えを少し整理するきっかけになりました。

 

彼に「ことの重大さ」がわかる日がいつか来ますように。